涼風の中で見つけた心の別天地
涼風の中で見つけた心の別天地
■先週、土曜日の朝、目が覚めて身支度を整える
と、自然と走り出していました。
当日はWEB面談が8時~、11時~、13時と続
き、15時から調髪、18時から家族との食事が予
定されていたので、反射的に走っていたのです。
走り出してビックリ。
なんと、風が涼しく感じるのです。
マスコミでは『災害級の暑さ』と称される、この
ところの暑さ。日中に、都内を歩いていても、確
かに、身の危険を感じる今日このごろです。
しかし、この朝の風には、そんな日中の暑さを予
感させながらも、心地よい涼しさがありました。
その瞬間、ふと心に浮かんだ言葉が
「暑中涼あり(しょちゅうりょうあり)」。
これは筆者の造語ですが、今回はこの言葉から
思い出された、ある古典の言葉についてご紹介し
たいと思います。
■思い出したのは
「壺中天有り(こちゅうてんあり)」という言葉です。
この言葉は中国の古典『後漢書』の「壺中の天」
という逸話が出所です。
ある役人が、仙人と出会い壺の中の理想郷で過ご
したという故事に由来し、
「たとえ日常が忙しく現実的な制約が多い中でも
利害やしがらみにとらわれず没頭できる自分だけ
の世界(趣味、静かな時間、心のオアシス)」を
しっかり持つことが、心の強さや救い、精神的な
余裕につながると説かれています。
つまり「壺中天あり」は、どんな境遇や忙しさの
中でも、自分自身の心の中や、生活のどこかに、
他人に左右されない、豊かな別世界を持つ効能に
ついて示唆した言葉です。
■この言葉と出会ったのは30代。
勤めていた会社が、倒産に向かって急降下してい
く中、なんとか回復させようとし、もがく自分‥。
周囲を見渡して、八方ふさがりと勝手に感じてい
た頃でした。
その頃の自分は、この言葉から壺中を暗い周囲と
とらえ、天を希望の未来と仰ぎ、本来の意味とは
ちょっと違った解釈をしていましたが、この言葉
が大きな支えになったことは確かです。
■同じ時期に出会った言葉に
『六中観(りくちゅうかん)』があります。
これは、終戦時の「玉音放送」の原稿に関わり、
政財界のリーダーたちに多大な影響を与えた思想
家・安岡正篤(やすおか まさひろ)氏の座右の
銘として知られています。
以下、六中観の言葉をご紹介します
・忙中閑あり(ぼうちゅうかんあり)
どんなに忙しくても、心の中に静けさや余裕を持
つべきである。
・苦中楽あり(くちゅうらくあり)
苦しい状況の中にも、楽しさや意味を見つけるこ
とができる。
・死中活あり(しちゅうかつあり)
絶望的な状況の中にこそ、新しい道が開ける。
・壷中天あり(こちゅうてんあり)
現実の中に、自分だけの心の「別天地」を持つ。
・意中人あり(いちゅうひとあり)
尊敬すべき人物や学ぶべき存在を、常に心に持つ。
・腹中書あり(ふくちゅうしょあり)
知識を血肉化し、自分の信念として持ち続ける。
安岡氏は、著作で
『私は平生ひそかにこの観をなして、いかなる場
合も決して絶望したり、 仕事に負けたり、屈託
したり、精神的空虚に陥らないように心がけてい
る。』と述べています。
■こうした言葉の一つひとつに助けられてきたと
おもうと、こうした言葉は、まさに珠玉のメッセ
ージです。
それらは、すべてが順調なときではなく、
「なぜ自分だけが…」
「もうやめてしまいたい…」
と感じるような困難の中で出会ったものです。
そのたびに、何度も読み返し、声に出して読むこ
とで、言葉の力に背中を押されてきました。
苦しいときに寄り添ってくれた言葉たちを、これ
からも誰かの心に届けられるように、静かに歩み
を続けていきたいと思っています。
以上、最後までお読みいただき、
ありがとうございました。
今日も、皆さまにとって、
最幸の一日になりますように。
日々是新 春木清隆
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「人間の真価は、平穏無事の時ではなく、試練に
直面した時にこそ現れる。」
安岡正篤(陽明学者 1898年~1983年)
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